青春の小箱におさまりきらない

主に記録 Twitter:@Guilty_boys4

『染、色』初見感想(6/6 13時公演)※6/7追記

感情記録。6/6(日) 13時公演、東京グローブ座


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ネタバレは別にいいけど人の感想を先に聴きたくなくて、それら全てを排除して自分の感想を抱けはしないから、ミュートワード設定したりなるべくゲネプロの様子をWSで観た以外は情報を取得できないようにしてきた。当日は時間もギリギリで入ることになったのでパンフレットは読んでないまま観劇した。原作は読んではきた。

 

以下、ネタバレあり。
嫌な人は廻れ右。自衛お願いします。
初見の感情書き留めておきたくて、いっそパンフレットまだ読まないまま書こうと思う。
途中から読んでからたぶん追記するけど。(→6/7追記した。感情記録ではなくほぼ考察。あとあまりに6/6に書いたの読みづらいのでトピックつけました笑)
書く順番もぐちゃぐちゃ。

 

・直後の感想

観終わった直後の感想、というかこれは体感したというか。なんだろう身体が重くて、足取りも重くなった。めちゃくちゃ泣いた時に全身重くなる感じに似てた、でも泣いたけどめちゃくちゃ泣いたわけでもない。不思議な感覚。会場でて待ってくれてた友達に声をかけられる前まで心ここにあらずというか、自分のなかでまだ作品を完結させれてないようなそんな感覚だったから、声をかけられて、はっとした。何がそうなってこうなるかはわからない。ただただ喉元に何か引っかかってて、言葉にできないから飲み込むしかなくて、でも苦しさと解放感のどちらもがきて、涙がでてきてしまう。疲労感がすごいな。深馬ではなく正門の声を聴くまで気が抜けられなかったけど、でも他担なりにあー正門やなーて笑顔をした瞬間があったから、嗚呼、染、色終わったのねってなれたや。

 

・受け取り手の私の癖

今観劇終わって3時間以上たってやっと言葉らしい言葉を並べられる。ここにかくのは感情の整理・記録なので、人が読んでも面白いものではないかもしれない。

いわゆる「感動」とは違ったのかもしれない。私は物語の誰かに共感をしやすいとはいえ、100入りきることはない。でも登場人物の誰かしらには移入しがちなので、原作のときからそれは市村(深馬)だったし、まあとはいえ100そうでもないから、あくまでも受け手としてとれる範囲も多かったのが救いかも。100のうち50~60だったのに、なんか終演後の身体の重さえぐかったし。。

 

・原作の大好きなシーン

原作の、あの手をかざすシーンがすごく好きで、文字だけでもわかる、あの瞬間の市村(深馬)の気持ち。手をかざす描写だけで、どどどって胸におしよせて、その後の文章は私にとっては解説にすぎなかった。だから、あのシーンが少し経緯を変えてでも残っていて嬉しかったし、あの時の深馬の表情がすごくおだやかで、でも憂いや情も含まれてて。すごくすごく好きだった。物理的には消えたけど染み付いてる。目には見えなくてもたしかにここにあった。し、そして今だってある。

 

・真未の存在有無

ここから原作と違うのは真未の存在があったかなかったか。だからびっくりしちゃった。居酒屋のシーンで何を言うてるんや??てなったし、えっまってそれって原作よりもはるかに残酷ではないか??て身構えた。深馬が見過ごしてきた、もはや見えてすらなかった内に求めていたその存在が「いなかった」のは残酷ではないか。まあそのことにより同時に杏奈との関係性はマシに思えるのかもしれないけど。。正直別に原作通りだろうが今回の舞台だろうが残酷さはあれど、別にクズではないしそもそも。いや道徳的に浮気やん!てなるかもやけど、なんか深馬が真未に惹かれる(導かれる)のは当然というか、この時深層心理で求めていたものを叶えられる相手は杏奈じゃなかったし。いや杏奈は杏奈である意味芸術において無知だからその点の楽さはあっただろうけど。本気で癒される瞬間を提供していたのも事実だし、ただ杏奈があげられるものと真未があげられるものはベクトルが違う。そこに重なりはない。
真未は真未じゃなかった。存在しなかった。そんなはずはないと電話を掛けるが、繋がらない。自分自身だったから当たり前なんだけど、原作のように「いた人がいなくなる」のとは違う。初めから、自分を変えたあの人は「存在していなかった」。そんな残酷なことがあっていいのか。。電話の向こうの音はSEとして用いられず、正門の演技だけでそれが観客に伝わるようにされていたけど、いたけど、きっと電話の向こうでは『おかけになった電話番号は現在使われておりません』って、機械のような女性のアナウンス音が繰り返されるだけ。あの時の高揚感も触れあったはずの感触も確かにあったのに、今だってあるはずなのに、最初から全てはなかった。でもなかったんだから、そりゃ原作みたいに二つの手形がつくことはないわな。そりゃそうだ。一人だもん。でもじゃあ深馬のなかで真未が生まれたのはなんでなんだろう。自己防衛?そこはまだ自分のなかで整理ついてないけど。

 

・作品の完成形と周囲の人、評価

「どれだけあがいても 最後のかたちはもう決まってる。変えられない。」
キャンバスを壊した、壊すまでが完成だと真未がわかるのは、それが深馬の深層心理だから。守られた自由で生きてきた、でもその自由すら評価やらでどんどん奪われていく(私からしたらそもそも深馬の生い立ちって自由度高くねーなと思ったけど)。真未がいった「ふつうの生い立ち」という言葉こそが深馬が求めていたものだと痛いほどわかったし(まあこれも結局のところ深馬自身だからこそ深馬に投げ掛けられる言葉だった)、だから杏奈を含む周囲からの期待は彼にとっては特別望んでいるものじゃない、よなぁ。なんかわかりそーなのに、案外周りにいる人って違うのね。他人の評価が重なるってある意味怖いなぁとも思った。著名人や所謂偉いさんに評価されると、たちまちすごいみたいになるみたいなさ。深馬からしたらたまたま入学の時がよかっただけ。まあそのたまたまじゃない時でも才能は高く評価されるものでもあったのかもしれないけどさ、少なくとも深馬にとってはその期待はプレッシャーというよりは、自分が認知している程度との差があるから不可解で気持ち悪かったと思う。私なら気持ち悪いなてなる。杏奈にいたっては就活で「謙虚で」って深馬のことを形容していて。それきいてさ、謙虚、ねぇって思ったし、何言ってんだこの女とも思った(口悪いけどほんまに思った)。あの後その話をした時の深馬の顔が強ばってるままなの好きだった。いや、まあ、ちょっと可哀想だけどね杏奈、、ごめん口悪くて。今急に反省したわ。それこそ杏奈が深馬を好きなのは、自分に持っていものたくさん持ってるからとかなんかな。でも、献身的で癒してくれる杏奈がいたからこそ、最後自分が真未との記憶をたどった後、電話することができたし。ここ原作とかなり変わってるよね。表面は変わってないけどここにいたる経緯がかなり変わってるから、深馬(市村)の感情もかなり違う。

 

・スプレーを隠すことの意味

真未は深馬を本当の自由に導いてくれる、厳しい言葉はたくさん言うけど、深馬が求めているものを深馬以上に理解し、そして行動をもって示す。深馬は戸惑いながらも基本は素直にそれを受け入れ、悦びに変わり。紫のスプレーを隠した深馬、あれためし行動だなって原作読んだ時から思ってたけど、人に自分を見せようとしない分、わかられてる人への依存がすごい。真未は厳しいこと言っても深馬からしたら聖母だからさ、ちょっといたずらしただけと言いつついたずらしたいのではなく、いたずらした時の真未の反応を見たかっただけと私は捉えてる。

 

・深馬である正門と、真未である正門

真未が深馬自身だとわかってからのシーンですごく好き。グラフィック描いてるシーンが。深馬が描いてた部分はもちろん当初の演技のままで、やってることは大胆だけど、でも慎重に、そして没頭している様がわかる。でも、特に恐竜の骨格?を描くシーンか、あの時の真未ターンの正門がすごくよくて。大胆で、作品を終わらせることへの楽しさ、熱中している様がまさしく真未だった。深馬じゃなくて真未だった。めちゃくちゃ良い顔して描いてるんよ。すごく綺麗で、イキイキしてて、深馬の葛藤との対比が良かったなぁ。

 

・わざと見過ごしてきたもの

「そうすれば、君は何にだってなれるんだよ」
真未は強引なところでもあるけど深馬に本当の自由を与えてくれる。真未は深馬なのだから、深馬がどんなに拒んだったって、絶対なんだよ。一年留年して、深馬は何になるのだろう。ただ、真未が深馬自身だったからこそ、原作よりも救われるところがあったりするのかもしれない。わかんない、私もまだ自分のあの終演直後の感情を言葉にしきれないというか、ああなった理由が明確にはわからないけど、冒頭でかいた「解放感」はきっと、この台詞があったこと、そして深馬が1年留年するという結果になったことに起因している気がする。留年を選んだ時はまだ、深馬自身は真未のことに気づけていないけど、でもその選択は真未がいたからこそ導かれたものだから、やっぱよかったと私は思ってる。この物語の最後の続き、どうなるかは想像できないけど、それでもやっぱよかったことになってくんだと思う。
自分のことは自分が一番わかってる。深馬の言葉でもあった通り。そうだと私も思う。大抵の物事については。でも時には見過ごしてることもあって、それは見過ごした方が都合がいいから見過ごすこともあるし、、、そういうものは気づいた時のショック(衝撃)がでかい。振り返ってみると見過ごしていたなとわかる時はそりゃあ辛かったりする。

 

・真未がいない未来
でもね、消えないんだよ。存在しなかったなんて残酷すぎるけど、それでも深馬でもある真未の存在は、深馬を変えて、だからやっぱ消えないんだよ。求めても探しても会えない人だけど、このことがなかったことにはならないから。誰かが覚えていることでもない、人が覚えているのは深馬だけだけど、深馬の中でちゃんとあるなら真未がいたんだから、それでええやんって言ってあげたい、、、(ってのは今書いてて生まれた気持ちでありおそらく終演直後には抱いてなかった)

 

・私の感情整理

ここまで書いててだいぶ整理できてきた気がする。たぶん終演直後の体力消耗して、苦しくて苦しくてでも少しの解放感があって、それはたぶん、やっぱ苦しかったのは真未が存在しなかったことにだと思う。ああやって手をかかげて、消えないって思ってある意味思い出にしたというか、でもたしかに自分を大きく変えて、本当の自由を与えてくれたのに、あの時の高揚感も楽しさも触れあった感覚も全部リアルなのに「なかった」ことが苦しくて仕方がなかった。解放感はさっき書いた通り。「そうすれば、君は何にだってなれるんだよ」だ。今パンフレット開けたけど、やっぱ台詞だけがあるページは意味があったなぁ。後から見てよかったかも。

 

・パンフレットの話

パンフレット読みました。えーーやっぱひどい男なの???まあいいか、まあそうか、杏奈は可哀想だもんなぁごめんごめん。シゲアキが言うようにすっきりした作品でもないし、正門の言ってた時空の仕掛けももちろん私は気づけてないだろうし、それこそこんっっっっっな長い文章(ここまでで4409字らしい)書いておきながら次見たら、あれれ?ぜんっぜん違うやん!!!!て思うかもしれない(笑)でもまあだからこそ初見の感想こうやって書いてるんだけど。書いてないと、忘れちゃうから、塗り変わっちゃうから。だって、どんな解釈も、どんな感想も間違いなんてないからさ。

 

・正門くん自身の話

あんま正門としては観てなかったかも。ええことやけどね。カテコで正門の声を聴いて、嗚呼そう正門やってなったので(笑)ところで正門さん、深馬の最初の方のテンションってやりやすい??あんまイメージないんよなぁ。なんか、あの部分の深馬を演じるのって難しそうやなーって思った。どっちかというと、真未に振り回されるとこの方が、ある意味深馬の深層心理、、真未に暴かれることの方がやりやすいんかなとか思った。なんとなくだけど。周りからの深馬評と自分のなかでの深馬評のギャップを感じてて、それが周りにばれてない、というか深馬が気づかせないというか、、奥底にしまった欲求(真未)を自分でも自分のものだと認識できないくらいには見過ごすのうまいというか、見過ごすことに慣れてるとか、なんかまあそのへん。

 

・締め

正直公演終わって聞こえてる感想がキスシーンのこととかやっぱ多くて、わかるけど、気持ちはわかるけど、私はまだ自分があんな状況だったし、そこをまず切り取らないでとなぜかヒステリックな気持ちになり、そっこー会場あとにした(笑)大阪で観れたらいいなぁ。また変わって見えるかもだし、まあこれ全部覆ったら覆ったで、面白いけど。さすがに全てがってことはないと思う、、願いやな。ああそれで、「そりゃ正門痩せるわ」て言ってた人がいて、それだけは耳傾けたというか、せやなってなった。観る方の体力消耗えぐいのに、これやる方もっとやばいやん。単純に動くから声出すからてだけじゃなくて。


美味しいご飯、たくさん食べてください。
そして千穐楽まで、駆け抜けられたらええね。できればね。でもそうなれない状況になってしまったとしても、それこそ変わらないよ、消えないよ。これをn公演できたってことは。

6/6お疲れ様でした。素敵な舞台をありがとう。

 

 

【6/7追記】

いやすぐ追記するやん(笑)大阪でも無事見られるかわからないけど記憶なくしそうだから自分がまだ咀嚼しきれていない箇所をメモっておきたいことと、プラス人様のを読んで、あーーーそうやねんそういうことやねんって思った箇所もあったり、なるほどその解釈!てなったのとかを記すべく。
一日たつと、感情が落ち着いて物事を捉えられることができてきた気がするので。

 

▼意味がありそうだけど咀嚼できてない
・秋に咲くソメイヨシノ
→春に咲くことができるのかを酷く深馬は気にしてた。「はみでない」でいられるかの危惧なのかなぁ。表面上周りと同じだとか、特異じゃないとか。深馬ってほら、はみでない人でしょ。まあわりと正門自身もそうか(しらんけど)。はみでようとしない、能力を自覚してても隠蔽しよる。だから贅沢だとも言えるが。ちなみにリアルに去年の秋にソメイヨシノが誤って咲いた記事も見つけた。去年秋だから関係ないかもしれないけどね。

 

・6本目の指
→記憶喪失した。これ最初に手形つけた時に「6本あるように見える」って言ってた気がするから偶然の産物だよね?6本目の指の名前の話の時、家族とは限らないって真未の台詞がすごく印象に残ってる。原作のようにいかないのはわかるけど、ポリダクトリー(多指症)じゃないといけなかったんだろう。一つ気になったこと、論文を読みあさったわけでもないので恐らく明確な事実や科学的に証明はきっとされていないけど、多指症の原因として「近親」がある。ヘミングウェイの猫の話とか。深馬も真未も5本指なので、事実云々と言うよりそういうものの象徴だと思えば、真未は深馬なのだから、納得いく。事実二人だけどはたから見たら一人なのだから、原作のように重ねることはできない。できないけどそれでも二人であることの象徴なのかもしれない。。

 

・よくわからん詩
もはや覚えてない。「まるであなたはトマトスープを飲み干したような」みたいなとこしか記憶残ってない。ちなみに原文はなさそう?実は日本の文献じゃなくてあるのかもしれないけど、双眼鏡で本のタイトルまでは見えなくて断念した。見えた人がいたら教えてほしい。。なんでその詩をしかもわりと長くてしっかりとした詩をここで出してきたのかがまだわかってないや。
深馬はよくわからん詩をモチーフに創作をする。解釈が自由だから好きとか色んな理由があるんだろうけど、真未はそれを「理解できないことが気持ちいいだけ」って一蹴する。あれ、結構グサグサきたな~~~。結局でもそれってわかってるんですよねこっち(深馬)も。セルフツッコミみたいなもんやからね。

 

・衣装の色と変わるタイミング
深馬と真未は基本的には対極的で、深馬は上は白で下は黒。真未は全身黒。の時間が圧倒的に長いんやけど、深馬の上着が白から黒になる時がある。どのタイミングで変わったか明確に思い出せないんだーー誰か教えてください。。
内定もらったと別れ話をさせない杏奈とのシーンでは既に黒ジャケットだったし、あの時の深馬は真未にかなり寄っていたのかもしれない。それくらいに目が、杏奈へ別れ話をしようとする時に申し訳なさすらなかったんよな。杏奈目線の「私の知らない深馬くんでも、好きだよ?」って言葉はここまで深い意味をもたないかもしれないけど、最後まで見て事実を知った観客からしたら、杏奈感覚的にわかってすらするやんって思う(笑)いやーー杏奈ごめんな昨日はなんやこいつとか思って。健気ですごいと思います。。
後で人様のブログを添付するけどそこで杏奈の就活の衣装の話があって。正直私深馬と真未を追う以外できなかったので、たしかに!てなった。ちなみに入院シーンはグレーだったなぁ。いつ白に戻ったっけ。退院後から元の白に戻ったような気がする。
なんかそもそも犯人を探そうってあの深馬と真未がすぐに一致した感覚がその時めっっっちゃくちゃ気持ち悪くて。違和感だったの。予想してた展開と違った。独立した深馬と真未ならそうはならんやろってなったから、呆気にとられた。まあでもなんかその時はお互い表現者だから乗っ取られたら腹立つか?て思うようにしたけど、やっぱ衣装のことといい、真未に寄ってたのか?て思った。それこそ北見と喧嘩するのなんてまさしく黒衣装の時。先生が犯人だったとわかるところも黒の服のままだったけど、正直この先生が犯人だった世界線の話、深馬目線の真偽ぐちゃってしてるからわからん。ただ北見も原田も飲み屋であの反応だったから、やっぱ深馬の幻想だったんだろうな。。(滝川の解釈としてこれもなるほどーってなったので後のブログ読んでみてください)

 

・人格の件がわかった後記憶を遡る時のモノクロ絵
いやあんなカラフルだったやん!?となった。あれモノクロになったよね。なんでだろう。二回目観た時考えます。。

 

・目のイラスト

なにあれ!?突然のことで理解が追い付かなかった。でも意味はあるはずなんだよ、、目、、

 

・真未の“設定”
めっちゃ細かいよね。「いつから絵を描いているかわからない(ここは深馬と共通)」「絵を習ったことはない」「両親は小さい時に死んだから覚えてない」「高校を卒業するまで施設で育った」「卒業してからは施設の時からお世話になってた大家さんのつてでこのアパートにいる」ちなみにこの優しく見える大家は脱税してて一見そういう人こそヤバいって話もしてたな。基本的に別人格は自分の抑制が解放されたバージョンみたいなとこがあるし、考え方に主人格(深馬)と違いがあるのはわかるけど、この生い立ちまで違うの!?てなった。ある意味でも絵を習わずに描ける環境は深馬にとっては羨ましいところでもあるけど、それ以外がまだすんなりきてない。嗚呼でもなんか大人に用意された自由は自由じゃないから、大人を信用しない真未は何となくわかるや。
「私が自由に見える?」の言い方ってなんかちょっと真未らしくなく感じて違和感だったんだけど、それって真未の自由は主人格に奪われてるからでは?とか少し思ってしまった。とはいえ主人格に明らかな攻撃をすることはないけども。「じゃあ、私が深馬の自由になってあげる」真未は自分の主人格が深馬であるってわかってたのかなぁ、、

 

・真未の部屋の染み
やっとのこさここでブログの記事を添付します(許可してくださってありがとうございますm(_ _)m)

舞台「染、色」感想 - vakiyoshi’s diary

ここに書かれてたスプレーを噴射してないと落ち着かない真未(深馬)、スプレーを隠されると子供のように泣きじゃくってしまう真未を抱えてる深馬、、、てところで不覚にも泣いた(笑)いやぁ辛いなぁ。深馬に入れ込みすぎですが自分が。

真未の腕にスプレーを吹きかけるという行動は、常識的になる=大人になることへの抵抗だったのかもしれません。周りに染められる前に、自分から染めてやろうというか。


これ見て、あーだから部屋の染みを塗りつぶすのも納得って思った。他人に自分の空間を汚されたから。しかしこれ肩車して塗ったよね、どうやって届いたんだ?ってのは野暮な疑問なのかもしれない。真未は「深馬のおかげで消せた」みたいなこと言ってたから、深馬と真未が対話することで初めてなし得ることってことなのかな。。あの時は物理的な部分で観客もすんなり受け入れたけど、実際は真未だけじゃ塗っても意味がなかったことなのかなとか。

 

まだまだ気になるし1回しか見てないから自分の中の答え合わせとわかった上で2回目を観たいから頼むから大阪土日やれますように。。
わからんことだけまとめたのでもやっとした感じで終わりますが。まあまた追記することになるでしょう(めちゃくちゃ長いな)。